有意義?辛い?「裁判員制度」


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 ワタクシ事。実は割とつい最近、我が子の今後を審議する為に家庭裁判所に足を運ぶ機会があった。3~4時間程度だったが、待合室に座っていると、5つある調停室から漏れて聞こえる怒声や泣き喚き、その空間は異質だった
 自分自身の要件は大した事ではなく、そのまま家路に着いたが、何となく重苦しい気持ちが今も残っている。


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 2009年8月から開始された裁判員制度最高裁のサイトにはこう記載されている。
裁判員制度とは,国民のみなさんに裁判員として刑事裁判に参加してもらい、被告人が有罪かどうか,有罪の場合どのような刑にするかを裁判官と一緒に決めてもらう制度です」


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 前段の"国民のみなさんに裁判員として刑事裁判に参加してもらい被告人が有罪かどうか"というのは分かる。有罪か無罪か、裁判員の意見を反映させる事はアメリカの陪審員制度と同じだ。


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 気になるのは後段の"有罪の場合どのような刑にするかを裁判官と一緒に決めてもらう制度"だ。

 裁判員制度で取り扱う内容は主に殺人、放火、麻薬、誘拐等、凶悪的な事案だ。無作為で選ばれた裁判員に有罪・無罪を問うだけでなく、量刑判断まで与えて良いものだろうか。ここで僕が心配しているのは、「けしからん」という各裁判員の先行した感情論から量刑が大きく変わるのではないかという所だ。法の専門的な知識を持ち得ない裁判員に量刑判断まで反映させるのは疑問に思う。
裁判員制度で取り扱う事案を当面は刑事でなく民事等、身近な分野に降ろしても良いのでは、というのが僕の個人的意見だ。


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