岩手の星(スター)馬"ロックハンドスター"
地方自治体活性化の目的で出来た地方競馬。岩手競馬も1991年には690億円の売上金を計上し県の財政を潤した。
ところがバブル崩壊後、地方競馬の年間収益金は右肩下がりになって行き、各地方自治体は地方競馬廃止の動きを見せ、2000年から加速していく。2001年に中津(大分県)と新潟、02年度には足利(栃木県)、益田(島根県)、03年には上山(山形県)、04年度には高崎(群馬県)と宇都宮(栃木県)が競馬開催廃止となった。
2007年、岩手競馬も赤字経営となり、議会で廃止の賛否を問う瀬戸際の中、ロック(岩)ハンド(手)スター(星)は産まれた。
2010年、3歳になったロックハンドスターは岩手競馬3冠レースと言われているダイヤモンドカップ、不来方賞、ダービーグランプリを制覇し、3歳三冠という偉業を達成し、岩手競馬に光を与え、ロックは「岩手の星」と呼ばれる様になり翌年の帝王賞を視野にローテーションが組まれた。そんなときに・・・・・・・
2011年3月11日、東日本大震災が起こり岩手競馬の存続は絶望的となった。
岩手競馬を維持させる手段は、ロックハンドスターが復興支援レースである 「マイルチャンピオンシップ南部杯」に出走する事だった。
震災での馬の疲労はピークに達しており、前走から20キロ減の馬体だ。主戦騎手、管原勲は「馬がこんな状態でレースが出来る訳が無い」と騎乗拒否。管原俊吏が乗り変わる
東京競馬場ゼッケン7枠13番のロックハンドスターはスタート後、芝からダートに切り替わる境目で脚に故障を発生し落馬。そのまま予後不良の措置が取られ、この世を去った(享年4才)
この日行われた 「マイルチャンピオンシップ南部杯」の売上金は、東日本大震災の義援金となり、岩手競馬廃止の声もなくなった。
あれから4年半、岩手競馬は今日も元気に開催している